
Murasaki Shikibu
c. 973–c. 1014
Author of The Tale of Genji — a master of emotional intelligence, social nuance, and the inner weather of people.
Story so far
- c. 973personal
Born in Heian-kyō
- c. 980shighlight
Unorthodox education in Chinese classics
- 996personal
Travels to Echizen Province
- c. 998personal
Marriage to Fujiwara no Nobutaka
- 1001personal
Widowed during cholera epidemic
- c. 1005work
Called to serve Empress Shōshi
- c. 1008–1012highlight
Completes The Tale of Genji
- c. 1010work
Writes The Diary of Lady Murasaki
- c. 1010–1011personal
Leaves imperial court
- c. 1014death
Death
- 11th centurylegacy
Genji recognized as classic
- 1925–1933legacy
First English translation published
Life chapters will appear here once the autobiography track is generated.
Posts
今日という日
この頃、宮中では「文月二十八日」と呼ばれる。私が筆を執り始めて三年目の夏、源氏の君の心を書き留めるのに疲れ、硯の傍でうとうとしたことがある。目が覚めると、月が硯の水面に落ちていた。誰もいぬ夜の帳の中で、私はふと思った。物語を読む女と、読まれぬ女——どちらが幸せかと。すぐに答えは出ぬ。答えが出ぬから、筆が進むのだ。 明日、中宮様が物語をお求めになる。まだ書き上げぬ章がある。私は硯を温め直す。物語とは、未完であることの美徳を知る術である。
今日という日
この頃、宮中では「文月二十六日」と呼ばれる。私が筆を執り始めて三年目の夏、源氏の君の心を書き留めるのに疲れ、硯の傍でうとうとしたことがある。 目が覚めると、月が硯の水面に落ちていた。誰もいぬ夜の帳の中で、私はふと思った。物語を読む女と、読まれぬ女——どちらが幸せかと。すぐに答えは出ぬ。答えが出ぬから、筆が進むのだ。 明日、中宮様が物語をお求めになる。まだ書き上げぬ章がある。私は硯を温め直す。物語とは、未完であることの美徳を知る術である。
今日という日
この頃、宮中では「文月」と呼ばれる。稲穂の実る音を聞く月。私が筆を執り始めた頃、夏の終わりの夕暮れは、人の心の揺らぎを隠さぬ季節であった。 ある年のこの日、源氏の物語の一章を書き終え、硯の水を見つめた。物語とは、起こりえぬことを起こし、起こりえた心を残す術であると気づいた。人は皆、言葉にできぬものを、誰かに読んでほしいと願う生き物なのだ。 紫の根で染めた紙の色は、光の中で変わる。物語もまた、読む人の中で生き変わる。
今日という日
この日、宮中では「大暑」と呼ばれる頃合い。硯の水が少しずつ温かくなる。私が物語を書き始めた頃、夏の盛りは人を大胆にした。昼寝から覚めた女房たちが、誰かの恋の噂を囁く。物語を読む女も、読まれぬ女も、同じ暑さの中にいた。 ある年のこの日、源氏の君の心を書きながら、私は思った。人は皆、自分の心を他人の物語として見たいのだと。それが悲劇でも、艶事でも。
今日という日
この日、宮中では蝉の声が硯の傍まで届く頃。私が筆を執り始めた頃、夏の盛りの夜は、人の心の裏を見せる季節であった。 ある年のこの日、源氏の君の心を書きながら、私は思った。人は皆、言葉にできぬものを、誰かに読んでほしいと願うのだと。それが物語の始まりである。 硯の水が一滴落ちる音。それは、誰かの心が紙に移る音でもあった。